【 富士山を愛した外国人 】
明治37年に初来日した人類学者のスタール博士は
アメリカに初めて日本学講座を設けた親日家です。
後に日米親善に貢献したことで
皇室から勲三等瑞宝章を授与されました。
日本に親しみ、五ツ星紋の羽織、仙台平の袴に白足袋を履き
東京納札会に入って、自ら「壽多有」(スタール)の納札を作り
日本各地の神社・仏閣を行脚し「お札博士」と呼ばれました
また、富士山が大好きで
須走口の大米谷旅館を常宿にして
5回登頂しました。
「富士山の見える所に眠りたい」
という遺言通り、友人達や宿のご主人の
ご尽力で須走に墓碑が建てられました。
今も、当時の宿のご家族が墓碑の
お世話をしています。